若者と議員の座談会〜どうして議員になったのか

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【若者と議員の座談会 】

14:00-16:30県庁にて、8つの班に分かれて座談会。20人の県・市議と数十名の高校生〜若者が、地方課題や、どうして議員を目指したのか等、ざっくばらんに話し合いました。
 私の班は、地元高校生がメイングループ。班の中で、一番若手の自分が(勝手に)ファシリを務めながら、進行していきました。議員が普段どんな活動をしているのか、高知市(県)の課題や、高知の企業の魅力は何か。今、一番力を入れていること(各議員)等。約2時間あっという間でした。
 私も、最年少議員として若者と政治の繋ぎ役を務めさせていただくことをミッションとして取り組んでいますし、元々、高校で教員として勤めていたこともあって、充実した座談会となりました。以下、私の班で出た質問について。少し生々しい話ですが、フワッとしたことを書くより本音の方がささるかと思いますので、リアルを伝えさせていただきます。(座談会で話していないことも書いています。編集加工しています。)

 

 【Q.どうして議員になったのか。議員になるためにどんな活動を行ったのか】
 私は小さい頃から、政治を志した父の背中を見て育ちましたので、政治は比較的身近な関心ごとでした。
 しかし、私は議員になるつもりは全くなく、小学3年生からの夢であったプロ野球選手の道を諦めてからは、大学を卒業して、教職の道へと進みました。高知の教育に貢献をしたい、骨を埋める覚悟でしたが、一度、別の世界を見てみたい、自分の可能性に挑戦してみたい!と、20代によくある山っ気?チャレンジ欲的なものを抑えることができず、退職して起業。当時の私は根拠のない自信と、無駄な行動力だけはありました。
 さて、起業してからの流れは割愛しますが、そこからなぜ議員を目指すようになったのか。振り返れば「ご縁」だったと思います。
 有難いことに、政治の道をすすめてくれる人生の先輩や仲間に巡りあえたこと。そこには、感謝しかありません。とは言うものの、決心するまでは、葛藤だらけ。なぜなら、皆さんもご存知の通り、選挙に出て当選するというのは簡単なことではありません。もちろん出たからといって当選する保証はどこにもありません。家族の理解、周囲の協力も必要ですし、これまでの自分の経験や人生が問われます。政治活動や選挙準備には沢山の人の協力や、印刷物や看板を作って活動するために、ある程度の資金も必要です。私の場合、約1年半無職になりましたので、かなりきつかったです。
 まさに超ハイリスク。その時点で、リターンは全く考えていません。(そもそもリターンを考える人は政治の道を志してはならないと思っています)
 「市政を変えたい!」という立派な志や、高邁な目標もなく、「議員になることが目標ではなく、議員になって何がしたいのか?」と聞かれることもありましたが、その時点で具体的なビジョンやデザインはありません。まだ議員になってもいないのに、具体的なデザインなんて出来る人の方が少ないと思います。必ずしも無理に動機付けしなくてもいいと思っています。(貢献したいという心は必要)
 まずは議員になるために「今、何ができるか、何をやるべきなのか?」
 当時の私に無駄な時間は1分1秒もありませんでした。

とは言っても、市政課題は何も知りません。というわけにもいかないので夜中は猛勉強です。「今の高知市の課題って何だろう?」まずは、議事録やネット、本、資料を集められるだけ、かき集めて膨大な量の情報収集から始めました。過去2年間の議事録に目を通すだけでも、大変な時間と労力でした。
 あとは議員になるために、できることは全てやりました。雨が降ろうが、暑かろうが寒かろうが、クリスマスだろうが、年末年始だろうが、1日何回も街頭に立ち続け訴え続けました。(約1年間で1,000回以上)
 靴も何足履きつぶしたのかわかりません。
 体やメンタルかボロッボロになっても、休むことなく365日24時間政治活動です。(もちろん活動には、多くの制限とルールもあります)
 今日は休むと決めても、気がついたら街頭に立っていました。メンタルが限界で立ちたくないときは、車の中でイヤホンを耳に突っ込んで、音楽をガンガンかけて、無理やりテンションを上げていました。
 地域を隅から隅まで歩き、地域にお住まいの方々だけではな、ワンちゃんの名前まで覚えるくらい歩きました。
 政治活動を続けていく中で、地域の方々や諸先輩方から多くの叱咤激励をいただき、気がつけば「高知市のために、全力で貢献したい!」「何がなんでも議員になりたい!」と強く思うようになっていました。議員になった夢を見て、涙を流していた夜も何度もありました。夢の中でも街頭に立って地域を歩いていました。
 完全に動機付けは後です。モチベーションなんてありません。ビジョンやデザインは後から勝手についてくる。遠い先のことを考えるのではなく、今日1日、目の前のタスクに全力で取り組んでいくこと。具体的に行動していくことが重要でした。
 楽しくとか、効率良くなんて綺麗ごとだと思っています。最後は気合いと根性です。
 なぜなら、選挙は「生きるか死ぬか」当選しなければただの人です。頑張ったね、惜しかったね、ではすまされない世界ですし、何より応援してくださっている人たち、支えてくださっている人のために、自己満足で終わってはいけないんです。
 だから「もし落ちたらどうするの?」と聞かれても、「すいません!落ちてから考えます」としか答えようがありません。なぜなら、落ちることは考えていませんし、議員になるイメージをずっとしているので、考えてはいけないとも思っています。
 活動初期は、10人いれば9人に無理だよ、無謀だ、やめたほうがいい。と言われましたが当然だと思っていました。
 街頭で罵声を浴びたり、悔しいつらい思いなんて1度や2度ではありませんでしたが、その時点での自分の評価と実力なので仕方がありません。真摯に受け止めて、悔しければ、そこから努力するしかありません。
 最近の若い人たちは(私もまだまだ若輩者ですが笑)楽してお金を稼ぐ方法や、必ず成功する方法など、すぐに効率や確実性を考えますが現実はそんなに甘くないと思います。むしろ人生は不確実性の方が高いと思っています。他人の成功なんて再現性が低い(ほぼ無い)ので、自分で見つけるしかないと思っています。
 結局、最後に笑うのは、圧倒的努力を、圧倒的に継続した人。まずは質より量。10000行動して1の成果ぐらいに考えたほうがいいと思っています。

 

【最後に】

2019年4月21日
2741票という重い票と、高知市議会の議席を賜りました。議員を目指すこと、または、議員になるということは自分ひとりだけのことではありません。
 議員は、市民から選ばれ、その代表者として議会の構成員となるのであり、議員が行う質問や質疑は、同時に市民の疑問・意見です。
 ですから、高知市であれば30万人以上の市民の皆様の代表者であり、議員はよくその職責をわきまえ、行動することが要求されるのです。もちろん、当選をさせていただいてからも、不断の努力が必要です。むしろ、私の場合は、やっとスタートです。そこから具体的なビジョンやミッション、デザインが必要となってきます。
 ここまで、少し生意気なことを述べましたが、私自身も議員になる前は、なぜ議員を目指したのか?どういう活動をしたのか知りませんでしたし、知る機会も少なかったと思います。
 しかし今はネットやSNSもあるので、おそれずに等身大の自分、ありのままの姿を、できるだけ本音でお伝えさせていただければと思っています。
 特に私より若い方に、何か響くもの、プラスになることがあれば嬉しいです。
 私自身もまだまだ未熟です。自分より能力が高い人は周りにごまんといますし、まだまだ知らないことの方が多いので、もっともっと謙虚に愚直に勉強しなければなりません。

志は高く、姿勢は低く、実践は足もとから。
 1期4年間、誠心誠意の政治活動につとめてまいります。我武者羅になって頑張りますので、今後ともご指導のほど宜しく御願い致します。

 

高知市議会議員

甲木 良作