【全文】2021年10月10日「高知市議会議員甲木良作による市政報告会」@業務用食品スーパー百石前交差点

政治の道を志した理由

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 皆さん、こんにちは。本日は日曜日にも関わらず、私の市政報告会に、沢山の皆様にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。

 今、私が立っているこの百石町業務用スーパー前は今から約3年半前に、政治活動を始めた原点でもあります。思い入れ深いこの場所で市政報告会が開催できること、大変感慨深い気持ちです。

 今日は、私の話を初めて聴かれる方もいらっしゃいますので、私が政治の道を志したきっかけや、これまでの道のり、そして初当選させていただいてから約2年半の活動についてお話させていただきます。限られた時間ですので、全てをお話することはもちろんできませんが、出来るだけ難しい言葉は使わず、わかりやすいお話ができればと思っております。本日はどうぞ最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

 

 この春、35歳になりました。私は、百石町で生まれ育ち、高校、大学は東北地方の皆様にお世話になりました。一旦は、そのまま県外へ就職をしようと考えておりましたが、人生というのは不思議なご縁の巡り合わせもあり、高知に帰ってくることになりました。

 私の最初の志。それは学校の先生。高校教師でした。学生時代に沢山の挫折や失敗を味わった私は、その経験を今度は後から来る子どもたちに伝えるべく、高校教師として社会人生活をスタート致しました。

 日中は、社会科教諭として、教室で生徒たちと共に学び、放課後は野球部顧問として生徒たちと一緒にグラウンドで汗まみれ泥まみれになり、汗と涙や青春を共有致しました。部活動が終わると、今度は寮生活の生徒たちと、同じ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食い、同じ風呂に入り、まさに24時間365日同じ生活をしていました。

 私にとって教師という職業は、仕事というよりは生き方そのものでした。それぐらい打ち込める仕事に出会えたのに、なぜ今ここに立っているのか。なぜ、私が政治の道を志したのか。

 

 ひとつは、10年前(2011年3月11日)東北地方を未曾有の被害を引き起こした東日本大震災先ほど申し上げたように、私は、東北地方。高校時代は宮城県、大学時代は岩手県の皆さんにお世話になった経験があります。まさに私にとって東北は第二の故郷。忘れもしない午後2時46分。大震災が発生したときは、グラウンドでちょうどノックを打ち終わったところだったと思います。

 災害放送が鳴り響き、何事かと職員室に駆け上がってテレビをつけてみますと、目を疑いました。私が暮らしていた街、遊んだ海、何度も通った道が、巨大地震によって倒壊し、街全体が津波に飲み込まれていく様子をただ呆然と見ていたことを昨日のことのように覚えています。そして、やがて高知にも南海トラフ地震がくることを考えると、決して他人事には思えませんでした。

 

 皆さんもご存じの通り、高知県は30年以内にM8~M9クラスの巨大地震が70~80%の確率で発生する(地震発生確率の算定基準日は、平成30年(2018年)1月1日)と言われています。

 私は、すぐに生徒会に呼びかけ、生徒会を通じて毛布などの物資を届けるべく、被災地を訪れると、報道で知る以上に悲惨な現実がありました。お世話になった高校の友人たちから当時の状況などをききますと、高知にもその体験談を持ち帰って伝えなければ。教育でも防災についてしっかりと学び、来たるべき南海トラフ地震にしっかり備えなければと思いました。

 高知が大好きな私は、自分の大切な人や街を守りたいと強く思うようになり、「自分自身、何か行動を起こさなければ」と・・・。ただ、仕事をこなす毎日、変わらない日々にモヤモヤしていました。

 

 そして、もうひとつ政治の道を志すようになったきっかけは、3年間手塩にかけて育てた教え子たちが、高校卒業と同時に東京や大阪等、都市部を中心に出ていく後ろ姿を見ていて、ただでさえ、高知県の人口も70万人を割り、年間で県人口の約1%に値する約7500人もの人口が減少をしている。これは2年間で室戸市安芸市規模の一つの市が吹き飛ぶくらいインパクトがある数字です。

 さらに、人口減少に加えて少子化・高齢化の課題も先頭集団を走っている中で、高知の将来を担っていく若者たちが、高知を出ていく。果たして、このままで私たちの将来は大丈夫なのかと。強い危機感を抱くようになりました。

 

 思うだけでは何も現実は変わらない。教師という職業は自分にとって天職とも思えるほど大好きな仕事でしたが、高知に残っている私自身が課題解決に向け行動を起こしていく当事者でありたい。若者世代の先頭に立たせていただきたいと強く思うようになり、政治の道を志すことを決意致しました。

 

 これまで政治経験のない、私にとって、ゼロから政治家を志すことは想像以上に厳しい、いばらの道でした。一般的に政治家になるためには、支持者(後援会)の組織を意味する地盤が必要と言われていますが、それまで秘書や政治活動はもちろんありませんし、ほとんど地元を離れていましたので、ゼロからの後援会作りです。実績も信頼もなく、30やそこらの何者でもない若者に、肩書や地位を意味する看板もありません。諸先輩方に比べますと、あってきた方の数も少なければ、人生経験も多くはありません。最後の活動資金を意味する鞄ですが、仕事どころか無職になって政治活動を始めた私にお恥ずかしながら活動資金もあるわけもなく、一体どうやって政治家になるのやら自分自身でもわかりません。(苦笑)

 

 だったら熱意と行動力だけは誰にも負けない気持ちと覚悟でやらなければ。もちろん10人中9人からは無謀な挑戦だとも言われましたが、決意した以上は最後まで頑張りたい。反対されるほど、「絶対にやってやるんだ」と熱く燃えました。

 

 365日、暑かろうが寒かろうが、雨が降ろうが、年末年始であろうが、毎朝の辻立ちから始まり、日中は地域を隅々まで歩いて回る。いわゆる草の根運動を続けました。潮江地区といっても元々、潮江はひとつの村でしたから30,000人近くの方が住んでいます。桟橋は1から6丁目まで、高見のお山を登り、孕西町、深谷町・・・。31の町内を全て歩いてまわると距離にして300キロ以上、時間にして1か月はかかります。1周を終える頃には靴底には綺麗な穴があいていました。

 休み無しで酷使する体。擦り減っていく神経。あまりの辛さ、過酷さに、明日は休もう。せめて半日は休もう。と自分に言い聞かせましたが、それでも次の日になると、街頭に立っている自分がいました。あまりの疲労に街頭演説の時間が近づいてきて車から降りられないときもありましたが、自分の気持ちを奮い立たせて立ち続けました。

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 地域をまわると、子育て中のお父さんやお母さんから子育ての悩みや必要とする支援をお聞かせくださったり、お孫さんの将来を不安に思うおじいちゃんやおばあちゃんから、「孫たちのためによろしくお願いします」と託されました。地域の皆さんは私にとって先生であり、地域の歴史や、地域の課題を教えていただき、政策を練り上げていきました。

 

 そして、2019年4月21日、2,741名の方から、甲木良作と名前を書いていただき、甲木良作頑張ってこいよ。と市政に送りだしていただきました。支えてくださった後援会の皆さんや、応援していただいた皆さんには、心から感謝したいと思います。ありがとうございます。

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活動報告

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 高知市議会ではこれまで5回の個人質問に立たせていただきました。

 議員になったとはいえ広い行政の守備範囲。教育行政、福祉行政、子育て支援、まちづくり・・・最初から全てに取り組むことは難しいですので、まずは地域の皆さんと政策を練り上げてきましたので、地域の皆さんの声を議場に届けていきたい。そして、やはり最年少の議席をいただいている私としては、若者世代、子育て世代、そして、まだ投票権もないですが、いつかは親の立場や有権者の立場になるときがくる将来世代の声を届けていきたいと思い、それぞれのテーマを中心に質問してまいりました。今日は時間も限られていますので、それぞれのテーマに絞ってご報告致します。

 

子育て支援

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 子育て支援については、少子化が加速する高知市において、更なる支援の必要性をお訴えしてまいりました。

 高知市における少子化の現状ですが、ゼロ歳から17歳の子供の数や、18歳から39歳の親世代の人口減少が続いております。

 高知市の出生数と合計特殊出生率についてですが、これまでの子育て支援の拡充等により、合計特殊出生率は平成20年度1.29でしたが、10年後の30年度は1.46と、一定の成果が出ているのではないかと思っております。

 

 しかし、出生数は、同じく平成20年度2,935名であったのが、30年度は2,405名と、10年間で約2割減少しています。これが、高知市少子化の現状です。

 出生数の減少は、初めて出産される女性の年齢層において、9割以上を占める20代、30代女性の人口が減少していることが主な要因です。

さらに、それに追い打ちをかけるように、新型コロナウイルス感染拡大という新たな危機が発生し、妊娠、出産を望む女性の多くが、コロナリスクによる妊娠や出産への影響に不安を抱えているのが現状です。

 

 高知市では、3か所目となる東部子育て世代包括支援センターを3月に開設をし、これを受けて、妊娠届出の受理、母子健康手帳の交付について、4月からは子育て世代包括支援センターに集約されることになりました。これによって専門職による妊婦の全数面接が実現し、妊娠期からの切れ目のない支援の入り口部分が完成しました。

 先ほど、申し上げましたが、コロナ禍で、不安を抱えながら妊娠・出産・子育てに取り組む方々も多い中、親にとっては安心できる支援体制が必要です。高知はひとり親の割合や、共働き世帯の割合が他の中核市と比較をしても高いですので、子育てが「個」育てや、「孤」育てにならないよう、更なる支援の充実を求めていきたいと考えています。

 

若者政策

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 若者政策では、私が教師のときに危機感を持った、若者が高知を離れていく現状を何とかできないかと、Uターンの支援や、高知に住み続けたいと思ってもらえるためには何が必要なのかを考え議論を続けてまいりました。

 本市の転出状況については、毎年約1200名の方が県外へと出ていっていまして、そのうち15歳から24歳までの若い世代の転出超過数が752人となっています。

 なぜ若者の転出超過が問題であると私は考えるのか。これは先ほども触れましたが、若い世代の転出超過が多いということは、まさに出産期の女性の人口が減少していることにも直接つながっていると考えるからです。

 

 15歳から24歳までの若い世代の転出超過を抑制していくことは、高知市の出産期の女性の減少の課題に対してのアプローチにつながり、本市の出生数にも影響してくるものだと考えます。若い人たちが高知にいながら社会課題の解決に取り組むことができる、あるいは外から志ある若者を呼び込むためには、若い人たちに人気のある仕事を増やしていくことや、可処分所得は東京より低くても、子育てがしやすかったり、生活や人生の中で豊かさを感じられる、あたたかい地域、まちづくりを作っていくことも大切です。子育てもこの潮江地域の大人たちのように学校と家庭と地域と一体となって、子どもたちを育んでいくことによって、子供たちの郷土愛を育てていくことも大切です。

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 確かに時間はかかりますけど、いつか大学を卒業するタイミングや、子育てを始めるタイミング、あるいは定年退職後に高知に戻ってきたいなと思ってもらえるようになるかもしれません。

 

地域活動

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 地域の皆様との活動を振り返ります。私自身もコロナ禍の中で、地域の皆様とともに汗を流してまいりました。

 東日本大震災から10年の節目を迎えましたが、学生時代を東北地方で過ごした私も、東日本大震災を契機として、災害後のボランティア活動に積極的に取り組むようになりました。

 例えば、平成30年7月豪雨災害では、私の友人や当時の教え子など20代30代の若者を連れ、宿毛市広島市岡山県倉敷市真備町、こういったところで家屋に堆積した土砂や雨水を除去する作業を行いました。

 40度を超える炎天下の中、15分作業したら1回休憩という苛酷な作業でしたが、日頃から体を動かしております私でも肉体的にきつく、互いに励まし合いながら作業を続けました。

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 そういった中、地域住民の皆様から逆に体調を気遣ってくださるお声がけを何度もいただき、お昼休憩では、冷たいお絞りやお茶など、逆にたくさんの寄り添いをいただきました。

 この経験から、日常生活における地域住民のつながりは、お互いの支え合いや協力を通じて、日常の生活や人生を豊かにするという観点からではなく、災害時に人の命を救う上で大きな力を発揮するということを学びました。

 災害後は、もちろん地域の若者や高齢者も一体となって復旧に取り組んでいかなければなりません。そのためには、日頃から町内会や防災会など、地域住民が交流を重ねることによって、絆を深めていくことが極めて重要になります。

 

 潮江地区では、町内会やPTA、青少協など、地域団体による地域活動が日頃から活発に行われてまいりました。

 潮江南地域の3大行事である夏祭り、お餅つき、区民運動会は、毎年、地域の恒例行事として子供から年配の方まで、老若男女を問わず交流の場となり、地域の活性化につながっています。

 ところが、コロナ禍で当たり前のように続いていた日常が1年もかからないうちに、3密を避ける、ソーシャルディスタンスといった、新しい生活様式を取り入れた日常へと変化をいたしました。

 昨年からコロナの影響で、地域活動にも様々な制約や影響があり、そのほとんどが中止、また大幅な規模縮小での実施やリモート開催など、活動形態にも変化が生じており、地域活動の分断の加速や地域活動から離れていくきっかけになることを危惧しております。

 

 そういった中、潮江地区では、子供たちや地域住民が楽しみにしている活動を何かできないだろうか。今だからこそ地域でできることにチャレンジをすると、地域の力で花火を打ち上げるプロジェクトを立ち上げ、今年の3月に、筆山から春の夜空に大輪の花を咲かせました。

 このプロジェクトに必要な資金は、クラウドファンディングで募りましたが、目標金額の130万円に達し、何よりも驚いたのは、地域から矢の催促があり、奉加帳を回してこいという声がありまして、地域で回した奉加帳のほうには100万円以上が寄せられたという驚きの事実です。

 花火は本当に予想以上の反響がありまして、子供たちも花火を上げてくれてありがとうと、非常に喜んでくれて、またフェイスブックとかSNSでも、子供たちが喜んだ、希望の光をありがとうございましたと多くのコメントが寄せられました。

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 子供たちにとって、本当に心に残る花火になったと思います。地域の大人たちも、これは本当に印象的だったんですけれど、できない理由を言っていたら何もできないと。そうじゃなくて、どうすればできるのか、どういう方法だったら、どういった範囲だったらできるかと、そういうことをおっしゃっていた地域の方がいました。非常に印象的でした。

 私は、そのことを議場でも発表させていただき、高知市型の地域共生社会の実現を目指す市長にも同様に、地域の皆さんのために、出来ない理由ではなく、どうすればできるかを考えて、地域を応援していただきたい。今後のまちづくりにも取り組んでいただきたいとお訴えさせていただきました。

 私も、3月議会では地域の皆さんの想いが言葉に乗っかった実感があり、つい熱くなりました。(汗)

 

最後に

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 日頃から地域の交流を深めていくことがいかに重要であるのか申し上げました。地域のコミュニティ力を高めることは、地域の防災力を高めることにもつながります。

 先日の9月議会では、20年前に幡多地域を襲った、西南豪雨災害の教訓についてお話をしました。つい1か月ほど前にも、地元紙で死者ゼロの奇跡と教訓が紹介されていました。

 国土交通省や県の調査によると、世帯の9割以上が近所の家族構成を把握しており、災害時に隣近所の安否確認に走った世帯が3割以上に上りました。まさに、地域の絆が機能した助け合い精神のたまものではないでしょうか。

 平成30年7月豪雨災害では、私は、大月町で被害に遭われた80代御夫婦の家屋へボランティアに行きました。そこでも西南豪雨の事例と全く同じように、地元の消防団の方が助けに来てくれ、床上浸水に怯える御夫婦をおぶって避難所へ誘導してくれたそうです。

 

 市長が言う「誰一人取り残さない高知市型共生社会の実現」。その理想とする社会を実現していくためには、これまで以上に地域の皆さんと一体となってまちづくりを進めていかなければなりません。

 今は、コロナ禍でなかなか地域活動も制限されていますが、来たるべき南海地震や、人口減少社会を前提としたまちづくりを皆さんと力を合わせて取り組んでいきたいと思います。高齢化もますます進み、課題山積の高知市ではありますが、私自身、これからも地域住民の皆さんお一人おひとりとできる限りコミュニケーションを取って、地域の皆さんのお声を議場に届けていきたいと思っております。

 

 まだまだお話をしたいことがありますが、時間になりましたので、以上を持ちまして私高知市議会議員甲木良作の活動報告とさせていただきます。本日はお忙しい中ご参加賜りました皆様に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。今後とも厳しくで結構ですので、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

 

2021年10月10日(日)午前11時~業務用食品スーパープロマート百石前交差点にて、広田一衆議院からもご挨拶をいただきました。

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高知市議会議員

甲木 良作